東京高等裁判所 平成5年(ネ)3679号 判決 1994年7月18日
主文
一 原判決中、平成五年(ネ)第三七四九号事件控訴人の同事件被控訴人村松信太郎に対する請求に関する部分を次のとおり変更する。
1 同事件被控訴人村松信太郎は、同事件控訴人に対し、金四一六四万八七八二円及びこれに対する平成三年四月一四日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
2 同事件控訴人の同事件被控訴人村松信太郎に対するその余の請求を棄却する。
二 原判決中、平成五年(ネ)第三七四九号事件控訴人の同事件被控訴人村松靖子に対する請求に関する部分を次のとおり変更する。
1 同事件被控訴人村松靖子は、同事件控訴人に対し、金四一五〇万円及びこれに対する平成三年四月一七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
2 同事件控訴人の同事件被控訴人村松靖子に対するその余の請求を棄却する。
三 原判決中、平成五年(ネ)第三七四九号事件控訴人の同事件被控訴人有限会社山一ハウジングに対する請求に関する部分のうち、同控訴人敗訴の部分を取り消す。
四 同事件被控訴人有限会社山一ハウジングは、同事件控訴人に対し、原判決認容の金額のほか、金八八万一三〇〇円及びこれに対する平成二年八月二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
五 双方の控訴に基づき、原判決中、平成五年(ネ)第三七四九号事件控訴人の同事件被控訴人阿久津進に対する請求に関する部分を次のとおり変更する。
1 同事件被控訴人阿久津進は、同事件控訴人に対し、金三五〇万七八〇〇円及びこれに対する平成三年四月一四日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
2 同事件控訴人の同事件被控訴人阿久津進に対するその余の請求を棄却する。
六 平成五年(ネ)第三六七九号事件控訴人有限会社山一ハウジングの控訴を棄却する。
七 訴訟費用は、第一、二審とも、平成五年(ネ)第三七四九号事件被控訴人らの負担とする。
八 この判決は、第一項の1、第二項の1、第四項、第五項の1、第七項につき、仮に執行することができる。
理由
一 本件売買契約が締結されたことは当事者間に争いがない。
二 錯誤の主張について(なお、一審被告会社及び一審被告阿久津の関係においても、損害の発生についてこの点が関係してくるので、ここで判断する。)
1 一審原告の錯誤についての主張は、本件売買契約を締結したのは、本件土地建物を長男の接骨院兼住宅として利用し、近い将来一審原告と長男の家族が同居できる建物を建築する目的で本件土地建物を購入したものであるところ、真実は本件土地が第一種住居専用地域にあり、建ぺい率五〇パーセント、容積率八〇パーセントであるのに、本件土地が住居地域にあり、建ぺい率六〇パーセント、容積率二〇〇パーセントであると誤信したというものである。右主張は、購入の目的そのものについて、一審原告の内心と表示との間に齟齬があつたことを主張しているのではなく、本件土地の用途地域の法的制限について、一審原告が誤解をしたと主張しているのである。そして、これは、売買契約の目的物の性状についての錯誤であるから、これが表示され契約の内容となつていると認められ、かつ、その錯誤がなければ本件売買契約を締結しなかつたであろうと認められる場合には、本件売買契約には要素の錯誤があるということができる。一審被告信太郎らは、一審原告の本件土地建物の購入の目的に錯誤があつたにすぎず、動機の錯誤であると主張するが、当を得ないものといわなければならない。
2 そこで、右の見地に立つて検討する。
本件土地が第一種住居専用地域にあり、建ぺい率が五〇パーセント、容積率が八〇パーセントの建築制限があること、本件売買契約を仲介した宅地建物取引業者である一審被告会社の従業員中原が、一審原告及び一審被告信太郎らの代理人の信宏が同席して行われた本件売買契約締結の場で、本件土地が住居地域にあり、建ぺい率六〇パーセント、容積率二〇〇パーセントである旨の記載がある重要事項説明書を読み上げ、これを一審原告に交付したことは当事者間に争いがない(なお、信宏が一審被告信太郎らの代理人であつたことは、一審被告会社及び一審被告阿久津が明らかに争わないから、自白したものとみなす。)、また、《証拠略》によると、一審被告会社は本件土地建物の売り出しの新聞折り込み広告で、本件建物が住居地域にあり、前記の建築制限があることを表示していたこと(このことは、一審原告と一審被告会社及び一審被告阿久津との間で争いがない。)、一審原告は、右の折り込み広告を見て、また、本件売買契約締結の際における重要事項説明書に基づく説明によつて、本件土地が住居地域にあり、建築制限が前記のとおりであると認識していたことが認められる。
さらに、《証拠略》によると、一審被告信太郎らの代理人であつた信宏は、昭和六三年九月九日、訴外大宮倉庫株式会社(信宏の親族が役員をしている会社であつて、信宏も勤務している。)の代理人として、訴外佐野忠外一名から本件土地建物を購入して一審被告信太郎ら名義に所有権移転登記をした際、仲介業者から、本件土地が第一種住居専用地域にあり、建ぺい率五〇パーセント、容積率八〇パーセントの建築制限がある旨の説明を受けていたところ、本件売買契約に先立ち、一審被告会社に売買の仲介を依頼した際、中原から本件土地の用途地域を聞かれて第一種住居専用地域である旨を告げたが、その後、中原から住居地域であると言われたことが認められ、売主側においても、本件土地の用途地域について全く問題意識がなかつた訳ではなく、宅地の売買取引におけるその重要性を十分知つていたものと推認される。
そして、宅地の取引において都市計画法上の用途地域が重要な事柄であつて、それゆえに宅地建物取引業者にこれらの事項の概要についての説明義務が課されていること(宅地建物取引業法三五条一項二号)も考慮すると、本件土地の用途地域が住居専用地域であり、建ぺい率六〇パーセント、容積率二〇〇パーセントの建築制限であることは表示されていたもので、本件売買契約の内容となつているものと解するのが相当である。
3 次に、一審原告の右錯誤が契約の要素についてのものといえるかどうかについて検討する。
《証拠略》によると、一審原告は、群馬県でプレス工場を経営していたが、後継者がないまま年をとつたので、工場を閉鎖し、長男の所有する上尾市内のマンションに妻と居住していること、一審原告の長男は、東京都板橋区内の賃貸マンションに家族と居住し、同区内の自己所有の土地建物で接骨院を経営していること、本件土地建物の購入については、一審原告の長男が新聞の折り込み広告を見て本件土地建物の下見を二度にわたりして、その購入を一審原告に勧めたこと、一審原告は、本件土地建物を購入するに当たつて、差し迫つて必要とする用途があつた訳ではないが、長男が経営する接骨院兼長男の家族の居宅に用いるなり、あるいはワンルームマンションを建築することを考えており、将来は自分達も長男の家族と同居することも考えていたこと、以上の事実が認められ、この認定に反する証拠はない。
ところで、市街地における住宅用の土地の建築制限がどの程度であるかは、土地の利用価値に大きな影響を与えるものであつて、本件のように有効建築地積が一二九・二二平方メートル(約三九坪)の土地においては、容積率が八〇パーセントであれば、建築可能な延床面積は一〇三・三七平方メートル(約三一坪)であり、容積率が二〇〇パーセントであれば、二五八・四四平方メートル(約七八坪)ということになる。この違いは、その格差が二・五倍という数値的な差だけではなく、現在の住宅の水準に照らせば、賃貸アパートの建築、営業用の店舗と併用した住宅の建築やいわゆる三世代住宅の建築の可否などにかかわる違いであつて、購入者の土地の利用にとつて極めて重大であるといわなければならない。したがつて、購入者において相当長期間にわたつて自用の小規模の住宅に利用する以外の利用目的がないなどの特段の事情がない限り、用途地域の種別とこれに伴う建築制限の程度は、契約の重要な内容となるものであつて、この点の錯誤は、要素の錯誤であるというべきである。
前記認定の事実によると、一審原告において差し当たりの確定的な用途があつた訳ではないものの、その年齢、家族状況、長男の職業等に照らせば、営業用の店舗との併用住宅や三世帯住宅の建築の可能性も否定できず、右の特段の事情があると認めることはできない。
したがつて、本件売買契約における一審原告の意思表示には要素の錯誤があつたということができる。
4 次に、一審被告信太郎らの抗弁(追認)について検討する。
《証拠略》によると、一審原告は平成二年九月末か同年一〇月初めころ、本件土地が住居地域ではなく第一種住居専用地域にあることを知り、そのことを告げることなく中原に対し、本件土地建物の売却を依頼したことが認められる。
しかし、追認とは法律行為の相手方に対する意思表示によつてすることが必要であるところ、中原は売主である一審被告信太郎らの代理人ではないから、仮に、一審原告が本件売買契約が有効であることを前提として、本件土地建物の売却を中原に依頼したことが追認の意思表示に当たると解したとしても、追認の効力が生ずることはない。したがつて、一審被告信太郎らの抗弁は理由がない。
三 一審被告信太郎らに対する主位的請求について
以上によれば、一審原告と一審被告信太郎らとの間の本件売買契約は無効である。
一審原告が本件売買契約の履行として、平成二年三月三日手付金として五〇〇万円、同年八月二日残代金七八〇〇万円を一審被告信太郎らに、同日固定資産税分担金七万六七八二円、駐車料金分担金七万二〇〇〇円を一審被告信太郎に、それぞれ支払つたことは一審原告と一審被告信太郎らとの間に争いがないから、一審被告信太郎らは、右金員を不当利得として一審原告に返還する義務がある(売買代金については、各持分二分の一に応じて返還すべきものである。)。
そして、一審原告は、右不当利得返還請求につき、一審被告信太郎らの代理人信宏が悪意であつたとして、金員受領の日からの法定利息を請求するが、前記認定のとおり、信宏は佐野忠外一名との本件土地建物の売買契約において、本件土地が第一種住居専用地域にあることを知つたが、中原から本件売買契約に先立つて本件土地が住居地域にあると言われたものであつて、本件土地が第一種住居専用地域にあり、前記の建築制限があることを確定的に知つていたと断定することはできず、悪意の受益者であるとまで認めるのは困難である。したがつて、右不当利得返還請求の附帯請求については、本件訴状が一審被告信太郎らに送達された日の翌日(一審被告信太郎につき平成三年四月一四日、一審被告靖子につき同月一七日)から支払済みまでの民法所定の遅延損害金の限度で認めることとする。
四 一審被告会社及び一審被告阿久津の責任について
1 前記のとおり、一審被告会社が本件売買契約を仲介した宅地建物取引業者であり、本件土地建物の売り出しに当たり、新聞折り込み広告で本件土地が住居地域にあり、建ぺい率六〇パーセント、容積率二〇〇パーセントの建築制限である旨の表示をしたこと、本件売買契約に当たつて、真実は本件土地が第一種住居専用地域にあり、建ぺい率五〇パーセント、容積率八〇パーセントであるのに、右折り込み広告と同内容の事項を記載した重要事項説明書を作成し、一審原告に対し、その内容を説明したこと、以上の事実は当事者間に争いがない。また、その際、取引主任者の資格を有する者は同席せず、その資格のない従業員中原が説明に当たつたことは、一審原告と一審被告会社及び一審被告阿久津との間に争いがない。
2 《証拠略》によると、中原は、信宏から本件土地建物の売却の仲介の依頼を受けた際、同人から本件土地が第一種住居専用地域にあることを聞いたが、一審被告会社には都市計画図がなかつたため、知り合いの不動産業者に電話で問い合わせて住居地域であろうとの回答を得たので、それ以上市役所等に確認をすることなく、新聞の折り込み広告を作成し、これを配布したこと、一審原告が右折り込み広告を見て、本件土地建物の購入を希望し、本件売買契約の締結に至つたが、中原は、取引主任者の原寅次の関与なしに、本件土地建物についての法定の重要事項説明書を作成して取引主任者の記名押印をし、これに代表者の一審被告阿久津から社判と代表者印の押捺を受けたこと、一審被告阿久津は、右の押印に当たつて、原がおらず、その関与がなく右重要事項説明書が作成されたことを知つていたこと、以上の事実が認められ、この認定に反する証拠はない。
3 一審被告会社の従業員中原は、一審被告会社の業務として、本件売買契約の仲介に当たつたものであるが、売主の代理人である信宏から本件土地が第一種住居専用地域にあると告げられたのであるから、用途地域、建築制限については、市役所の担当課に照会するなどして慎重にその調査に当たるべきところ、知り合いの業者に電話で問い合わせをして、住居地域である旨の回答を得たこと以上の調査をせず、前記の誤つた用途地域と建築制限を記載した折り込み広告を作成頒布し、さらに、宅地建物取引業法三五条は、宅地建物取引業者は、宅地建物の売買等の仲介に当たつて、取引主任者に、都市計画法、建築基準法に基づく、用途地域の指定、建築制限を含む重要事項について書面を当事者に交付して説明をさせなければならないことを規定しているにもかかわらず、一審被告会社の取引主任者に何ら相談することなく、勝手に自己の判断で誤つた内容の重要事項説明書を作成し、これを本件売買契約に当たつて一審原告に交付して説明をし、これにより、一審原告に住居地域にあつて、建ぺい率六〇パーセント、容積率二〇〇パーセントの建築制限がある土地であると誤信させ、本件売買契約の締結に至らせたものであり、中原の右行為は、一審原告に対する不法行為というべきであり、一審被告会社は民法七一五条により、一審原告の後記損害を賠償する義務がある。
4 一審被告阿久津は、一審被告会社の代表者としてその業務全般を統轄する立場にあり、従業員六名という規模の会社であつたから(この事実は、原審証人中原正人の証言によつて認めることができる。)、従業員の中原、取引主任者の原の業務を具体的に監督すべき義務があるところ、中原が調査不十分のまま誤つた内容の折り込み広告を作成頒布するのを見逃し、取引主任者の責任において作成すべき重要事項説明書を資格がない中原が勝手に作成するのに任せ、原が作成に関与していないことを知りながら、本件売買契約についての誤つた内容の重要事項説明書に社判と代表者印とを押捺し、これを一審原告に交付して誤つた内容の説明をさせて、誤信した一審原告に本件売買契約を締結させたものである。
このような職務の遂行については、一審被告阿久津の代表取締役としての重大な過失があるというべきであつて、一審被告阿久津は、有限会社法三〇条の三により、これによつて生じた一審原告の後記損害を賠償する義務がある。
5 損害
一審原告が、平成二年八月二日、本件売買契約の仲介手数料として一審被告会社に二六二万六五〇〇円を支払い、そのほかに所有権移転登記手続費用として八七万〇〇五〇円、火災保険料として一万一二五〇円を支出し、合計三五〇万七八〇〇円を支払つたことは、一審原告と一審被告会社及び一審被告阿久津との間に争いがなく、前記認定の事実によれば、中原が一審原告に対して用途地域等について誤つた説明をしていなかつたとすれば、一審原告は本件土地建物を購入しなかつたであろうということができるから、右は中原及び一審被告阿久津の前記行為と相当因果関係がある一審原告の損害と認めることができる。
なお、一審原告は右損害金についての附帯請求として、平成二年八月二日から支払済みまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求めるところ、一審被告会社については、不法行為の後であるからこれを認容することができるが、有限会社法三〇条の三に基づく一審被告阿久津の責任は不法行為とは別個の法定の特別責任であるから、期限の定めのない債務として履行の請求によつて遅滞に陥ると解するのが相当である。そうすると、一審被告阿久津に対する附帯請求の始期は、本件訴状が一審被告阿久津に送達された日の翌日である平成三年四月一四日ということになる。
五 むすび
以上のとおり、一審原告の本件請求は、一審被告信太郎ら及び一審被告阿久津に対する附帯請求の各一部を除きすべて理由があるので、一審被告信太郎ら及び一審被告阿久津に対する請求に関する部分を変更し、一審被告会社に対する請求の一部を棄却した部分を取り消してこれを認容し、一審被告会社の控訴を棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法九六条、九二条、八九条、九三条を、仮執行の宣言について同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 矢崎秀一 裁判官 及川憲夫 裁判官 浅香紀久雄)